徒然備忘録

どうでもいい雑記。

家族から受けた影響について

ある個人の価値観・イデオロギーは、何かしらからの影響を受けて色濃く反映された結果であると言えます。
それは僕も全く例外ではなく、もちろんみなさんも例外ではないでしょう。
価値観やイデオロギーが「はっ」と変わる瞬間は、人生の中でもそうあることではありません。

例えば29歳の僕の場合、大きな転換点は三度ありました。
それぞれ「両親による影響」「コンテンツによる影響」「コンテンツによる影響」です。

今回は主にコンテンツについて書きたかったのに、思ったよりその前置きで熱くなりすぎたので、
コンテンツについては次回に触れさせてください。



▼両親による影響

両親による影響は、ほとんど万人が受けるものだと思います。
それがいい影響か悪い影響かは人によりますし、何を持って良い悪いを判断するかも、考え方やイデオロギーによります。
ハッキリ言って僕は、両親からいい影響を受けたとは言い辛いです。が、それで良かったと思っています。
結果として今、僕はやりたいことがある程度できている現実があるからですね。

僕の両親は、僕がやりたいといったことは大抵やらせてくれたので、そういった意味ではとても感謝しています。
一方僕は、両親からの承認を満足に得られずに育ったのだと思います。
褒められた経験はあまりないですね。褒められるようなことも別にしてないので、そもそも褒められる理由もないんですが、とにかく否定され続けて育ってきたような印象はあります。

そして中学〜大学の時期になると「両親に認められたい」という欲求は「家族と同じ空間に居たくない」という逃避行動に変化し、別の世界に承認欲求を依拠するようになります。
これが「一方的な大学中退〜家出、一人暮らし」に繋がっていきます。

こうして家族と距離をおいた上で両親に認めさせるためにモノ作りに携わっていくわけです。
「認めさせる」=「何者かになる」という単純な思考回路ですよ。浅はかですね〜。
「あなたたちが認めなかった私はこうして何者かになりました」というサクセスストーリーを作ってギャフンと言わせたいわけですね。
だから、自分が何者かになるまでは両親とは会えないんですよ。基本的には、冠婚葬祭等特別な何かがない限りは会わないです。

合わない理由は実のところもう一つあって、両親には最後まで僕にとっての仮想敵であってほしい。
歳をとって丸くなっていく両親を見たくない訳です。
僕の行動原理の根底にあるのは両親への復讐なので、その復讐相手が、もう敵として認識できないほど弱い存在になってしまったとき
行動原理である「両親への復讐」の喪失、それを恐れてるんでしょうね。
しかし本心ではもう「両親の弱体」を感じ取ってる。
これまでの敵に変わる頑張るための「何か」がないと、この先バランスが保てないことを感じている自分がいたりいなかったり。


と、なんともメンヘラ臭い陰気なブログになったわけだが、改めて「なぜ自分が今こうしているのか」を振り返ってみると、その契機は意外なところにあったりするわけです。
それにしても、承認欲求の反発が犯罪方面に向かなくて本当に良かったよね。

次回は影響を受けたコンテンツについて、まとめていきたいですね