徒然備忘録

雑記。

ゲームとして見る新海誠と『君の名は。』

新海誠の話題作『君の名は。』を二回ほど観てきたので、その雑感を記しておきたい。

まず私は、彼の出生作である『ほしのこえ』(彼女と彼女の猫)時代からの
古参フォロワーである。
さらに付け加えれば、新海誠が従事したもう一つのフィールドである
美少女ゲーム時代も追ってきた。
所謂老害であるという事実を前提に読んでいただければ幸いである。

 

新海誠といえば、言うまでもなくゼロ年代(美少女)ゲーム的想像力のパラダイム上に
存在する人物である。
彼は大学卒業後、ゲーム制作会社「日本ファルコム」に席を置く。
のちに美少女ゲームブランド「minori」で数々のオープニングムービーを何点か制作し、
主に美少女ゲームというアンダーグラウンドな界隈で注目を浴び始めることになる。
つまり、もともと彼は”アニメの人”ではなく”ゲームの人”なのである。

上記から鑑みるに、新海誠作品はアニメの文脈で語るべきでない。
ゲームの文脈で語るべきなのである。それも、大きな文脈として。

 

さっそく『君の名は。』の話をはじめていこう。

新海誠の過去作を観ているかどうかで、決定的に変わる点がある。
それは、この作品を見た時に感じる新海誠作品における集大成感の有無である。
そしてこの集大成感には、デジャヴのようなものを感じる。
エロゲーにおけるトゥルーエンド感である。 

 

トゥルーエンドとは。
エロゲーを筆頭にマルチエンディング作品で用いられるエンディング方式の一つ。
物語の核心をつく「本当」のエンディング。
大抵は他の全てのエンディングを見た後、もしくは特殊な条件を満たさなければ見ることが出来ないなどの制約が存在し、物語に幕を下ろすための役割を担うエンディングのこと。

 

ここでいう”トゥルーエンド”と”他のルート”を
新海誠作品に当てはめるとこうなる。

 

ルートA:ほしのこえEND
ルートB:雲の向こう、約束の場所END
ルートC:秒速5センチメートルEND
ルートD:星を追う子どもEND
ルートE:言の葉の庭END

 

ここまでのA~Eが所謂他のルートに該当する。
以上のルートを通過することによって、以下のエンディングが開放される仕組みだ。

 

TRUE:君の名は。END

 

つまり

ほしのこえ』におけるエンディング(恐らくBADエンド)
『雲の向こう~』におけるエンディング(グッドエンド?)
『秒速~』におけるエンディング(BAD)
星を追う子ども』におけるエンディング(BAD)
言の葉の庭』におけるエンディング(グッド)

以上のルート全てを経由したプレイヤー(新海誠及び視聴者)の経験が
無意識に作中の主人公に反映される結果(プレイヤー視点)、
君の名は。』のエンディングは過去の作品すべてを内包し踏襲したものになっている。

エロゲーにおけるトゥルーエンドとは、
パラレルワールドであるはずの他のルートでの数々の失敗を
プレイヤー(視聴者)が覚えているからこそ、
最後の最後に主人公に対して正しい選択を示唆することで成立する。

君の名は。』においては、主人公とヒロインの二人が再会しそうで
お互いに気がつかない演出が二三度繰り返されるラスト数分間は、
まさに『秒速』や『ほしのこえ』 といった”他のルートの記憶”を彷彿とさせる。

そして『秒速』『ほしのこえ』で出会えなかった、再会できなかったという
失敗を経験し、プレイヤー(新海誠及び視聴者)が認識していたからこそ、
君の名は。』の最後に二人は再会できるのだ。

 

 

やはり『 君の名は。』は単体で語るものではないと思う。
それは『新海誠』という大きな物語の内包するルートの一つにすぎない。
しかしその一つのルートは、それこそ紐のように他のルートと綿密に絡み合っている。
その紐を解いていくことによって初めて我々は真のエンディング、
トゥルーエンドという名の『君の名は。』を鑑賞することが出来るのだ。

そしてそう考えると、私があまり好きではない『秒速』と『言の葉の庭』も、
ルートの一つとして受け入れることができる。
「ああ、おれの嫌いなこの二作も『君の名は。』のために必要だったのだな……」
と。

過去作を観ていない人はぜひ、全ての作品を観てから
もう一度劇場に足を運んで欲しいと思う。