徒然備忘録

どうでもいい雑記。

エロゲーと論壇の話

以前、このようなポストを見かけた。

 

人文系論壇に憧れてエロゲをやろうにも18禁でできないと嘆いている高校生の話を聞き、思い出した話。

 

人文系論壇=エロゲとかについて論じている論壇、エロゲできないと参入できない論壇、ってのがそもそもおかしいと思うんだよなあ。

 

エロゲ関係ない批評もあるよ、というのはそうなんだけど(なきゃ困る)、批評とかに興味を持った高校生に「エロゲできないとだめなんだ!」という印象を与えてしまうくらい、批評界でエロゲに対するメジャーな印象を与えている

 

 

人文系論壇という括りが、一体どの辺りをゾーニングしたのかはかなり曖昧だが、
人文系論壇=サブカル論壇と置き換えてみよう。
とはいえ、このポスト自体がもう数年前のものなので、今更感が半端無いわけですがまぁいいよね。

まず、サブカル論壇=エロゲ という印象は確かにある、というより、あった。
なぜこのような印象を持たれたのだろうか。

これは、90年台後半から始まる萌えアニメの隆盛と、萌えアニメが隆盛した理由を分析しようとした
かつてのサブカル論客(東浩紀や東チルドレン、岡田斗司夫斎藤環など)に起因している。

今や市民権を得た様々な萌えコンテンツを分析していくことは、
萌えアニメ萌えアニメラノベを萌えたらしめる"萌え"自体の分析でもあった。

そこでエロゲーの話である。
なぜ、論客はエロゲーをたびたび論壇に上げたのだろうか。

エロゲー自体は、90年代前半(一番古いと80年代まで遡る?)に登場した所謂
ポルノメディアのひとつである。

BHS全盛期、AVの氾濫するポルノ世界において、エロゲーは画面の動きも貧しく
当時は声も出ない、AVと比較して弱々しいメディアだった。

しかし、AVにないものもあった。
それはテキストと絵だ。
映像という強みが使えないエロゲーは、テキストと一枚の絵によって”記号的な可愛さ”
この先何年と洗練していくこととなる。

今日、萌えの属性として挙げられている殆どは、エロゲーが出発点となっているのは自明なのだが、
それは映像に頼ることができず文字と絵だけで表現を洗練させていった結果である。

萌えアニメの”萌え”は、従来のエロゲー的ポルノからポルノを撤廃した、
いわば
「漂白された萌え」として、90年代後半あたりから脚光を浴び始めた。

現在の萌えアニメを表象的に語る上で”萌え”の成り立ちは避ける事のできない要素である。
サブカル論壇上でエロゲーが取り上げられていくことになるのは、必然である。



90年代後半、エロゲーはポルノメディアにして泣かせるという方向転換を行った。
KeyのKanonに端を発する革命的な転換は、このあと大きなうねりを呼び、
サブカル界隈を巻き込んでいくことになる。

東浩紀が面白がってエロゲーを取り上げた理由の一つでもあるこのターニングポイントは、
のちのアニメやラノベに大きく影響している。

この「泣きゲー」潮流から、色々なものが誕生した。
ループ系、館もの、三世代構造、伝奇、猟奇、狂気。
ポルノであるという弱みを、なにをやってもいいというポルノの強みでカバーする形で、
一種のカオスな空間、世界が出来あがっていった。

東浩紀「ループものがオタク文化で特に好まれている理由として、成熟拒否的で幼児性に固執しがちなオタクにとって、同一機関を反復して過ごし続けるループものの主人公は感情移入しやすい」


近年一般人にも認知されている人気アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」を例に見てみる。

そもそも原作者がエロゲー界隈の出身である、という話は置いておくにしろ、
完全にエロゲー的な文脈に収まっている「まどまぎ」だが、
アニメからの新規顧客と既にエロゲーをやってきた層との視点の違いに面白いものがあった。

さて、まどマギは今や言わずと知れた「ループもの」である。
誰かを救うために同じ時間軸を繰り返す「ループ」は、SFのいちジャンルでありながら、
日本サブカルにおいての「ループ」はエロゲーの想像力に傾倒する部分が大きい。

「ループ」というジャンルは、エロゲーという媒体が構造上「ループ」に
最もマッチするゲームという媒体で動いていたことで生まれた。

00年代前半あたりから停滞していたエロゲ論壇が、再び活性化したのは「まどマギ」の出現で
エロゲー的な想像力が再び話題になったからである。

今や一般的に受け入れられているアニメやラノベ、実は見えないところでエロゲーの影響下にある。
現在のアニメを語る上で、その構造解釈にもエロゲーに立ち返る必要があった。

よって、サブカル論壇上でエロゲーの話題が上ることは珍しくない。
それどころか、知っていることが前提条件となっている節も多々存在するし、
知らなきゃ門前払いという雰囲気すらあったのも事実である。

人文系論壇に憧れてエロゲをやろうにも18禁でできないと嘆いている高校生の話を聞き、思い出した話。

 

人文系論壇=エロゲとかについて論じている論壇、エロゲできないと参入できない論壇、ってのがそもそもおかしいと思うんだよなあ。

 

エロゲ関係ない批評もあるよ、というのはそうなんだけど(なきゃ困る)、批評とかに興味を持った高校生に「エロゲできないとだめなんだ!」という印象を与えてしまうくらい、批評界でエロゲに対するメジャーな印象を与えている

 

どうしてもサブカル論壇に上りたいといった場合に、エロゲーをプレイする必要はあるのか。
まぁ、ない。
知識は後天的にいくらでも貯蔵可能だからだ。
プレイしたかどうかではなく、知っていればいい。
今となっては批評本も多岐にわたり出版されているし、補うことは十分可能である。
サブカル論壇なんて、そのくらい狭い世界の話なのである。

ネット上で読めるものをひとつ。雰囲気を掴みたい方はどうぞ。
※サイト自体は18禁なので注意

美少女ゲームの哲学-村上裕一

 

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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美少女ゲームの臨界点 波状言論 臨時増刊号

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